
原子力技術は周知の通り「人類に有益な物」と「人類に機危機」をもたらす両極端な代物です。悪意を持つある特定の人間を除き、誰一人として原子力技術を万人が自由に使用、応用、乱用可能な世界を望んではいないと思います。
研究者は「有益」と「不利益」の天秤をいちいち考えていたら、新しい技術を生み出す事など出来ないという人もいるかも知れません。初めは「不利益」もあると判っていたが「有益」なものの方が優先と考えて世に送り出した物だと思います。
これは「必要悪?」「人間の矛盾した本質?」「探求者の性(さが)?」で済まされる話では無いような気がします。
共有ソフトに関しての裁判は「著作権侵害の幇助犯」としての争点が一番になっている様ですが、著作権法の適用範囲が共有ソフトの作成者にまで問うことができる法律ではないため簡単な解決は難しいと思います。
そもそもの問題は、直接違法行為をする人を取り締まる事に手間がかかるからソフトの作成者にさかのぼり責任が明らかになれば、同じ様な事が繰り返されにくくなると考えて元を断つための行動の様なのですが、今の日本の法律には人間の性(さが)を調整する機能を持ち合わせていないから無理だと思います。法律家の方に怒られてしまいそうですが、これは明らかだと思います。
それこそ、セキュリテーソフト会社に自動で「ファイル共有ソフト」を排除させる機能でも搭載してもらうしかないでしょう。(これも現実的ではないとは思いますが)
共有ソフトの技術を探求している研究者はそのソフトの技術が究極に悪用されることによりどのような世界が起こりうるのかを検証した事はあるのでしょうか?仮に検証があったとしても、無かったとしても結果は大きく変わらないというならばこれは、正に人間の性(さが)の一つなのだと思います。
例えれば、原子力を誰でも簡単に利用できる革新的技術を発明し、全く無秩序に世界中に広める事を「研究の自由」として肯定するならば、また規制する事がなされない場合。「ファイル共有ソフトと核兵器には差はない」と言える様な気がします。この場合、テロ行為として、全く筋違いの拘束をされるかもしれません。この意見に反論する方は「ファイル共有ソフト」と「原子力」では危険性に雲泥の差があると言われるでしょう。
私は、それは今現在の価値観での比較よるものだと思います。「情報の共有」という利便性の裏世界で「情報無秩序化」が氾濫することは「原子力」に匹敵する人類の驚異になるという事を宇宙時代に突入する近未来は痛感することになると思います。
これからの時代の人類の課題は「人間も性(さが)をもある程度調節出来る制度システム」を早急に構築することだと思います。
「イタチごっこ」という言葉が永久不滅とならない事を願っています。根本は人類の存在が「必要悪」な事は重々承知の上で・・・・・。
K